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東京地方裁判所 昭和61年(特わ)1575号 判決

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

未決勾留日数のうち二五〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和六一年六月二六日ころ、東京都内において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン約〇・〇三グラムを含有する水溶液約〇・二五立方センチメートルを自己の右腕に注射し、もって、覚せい剤を使用したものである。

(証拠の標目)《省略》

(争点に対する判断)

一  弁護人は、被告人作成の任意提出書二通、司法警察員作成の領置調書二通、司法警察員内野次夫及び同三浦秀がそれぞれ作成した各写真撮影報告書並びに島﨑克己作成の鑑定書は、たとえ右各任意提出書及び各領置調書については手続上の事実の立証に供するに過ぎないとしても、すべて任意捜査の限界を超えた実質的な逮捕状況の下で作成された書面、撮影された写真あるいは採取された尿に関する鑑定書であるのみならず、いずれも、被告人の承諾によらず、必要な令状のないまま行われた、車の捜索、注射器の差押・予試験、腕の注射痕の確認・撮影及び尿の提出の強要の結果得られたいわゆる違法収集証拠で、その収集過程には令状主義の精神を没却する重大な違法があり、将来の違法捜査の抑制のためにも、その証拠能力がすべて否定されるべきであるなどと縷々主張する。

二  そこで、検討するに、被告人の当公判廷における供述、証人内野次夫、同佐藤譲、同山下春夫、同高橋徳及び同大塚孝義の当公判廷における各供述、第二回公判調書中の証人北川忠弘及び同佐藤譲の各供述部分、第三回公判調書中の証人内野次夫及び同三浦秀の各供述部分並びに司法警察員大塚孝義作成の捜査報告書(四通。ただし、昭和六一年一一月六日付のものについては、二丁表五行目「中庭において」の次から「同車両」の前までを除く。)及び写真撮影報告書によれば、次のような事実が認められる。

1  被告人は、昭和六一年六月二六日午後一〇時五五分ころ、国鉄(当時)恵比寿駅付近の路上において、自動車を運転中、指定通行区分違反の疑いで、警ら用自動車に乗車して付近を警ら中の警視庁渋谷警察署巡査北川忠弘及び同小林信昭によって停止を求められて停止したが、その際、運転免許の有効期間を徒過していたことが見つかったこともあり、北川巡査らから、同所から約一〇〇メートル離れた同署恵比寿駅前派出所に同行を求められ、自ら被告人車両を運転して同一一時ころ同派出所に赴いた。ところが、この間、被告人には覚せい剤取締法違反の犯歴が三回あることが同巡査らに判明したため、被告人は、同派出所において、同巡査らから、所持していたバッグや腕の呈示を求められ、これに対し、右バッグの検査には応じたものの、腕の呈示を拒否し、同派出所内に右バッグを置いたまま、外に二、三歩出ようとし、同巡査から背後より右肩に手を掛けられてとどめられ、渋々同派出所に歩いてもどるなどした。更に、被告人は、翌二七日午前零時前ころ、同巡査らから渋谷警察署に同行を求められ、小林巡査が運転する被告人車両の助手席に自らドアを開けて乗車し、同日午前零時ころ、同警察署中庭に到着した。

2  右中庭に到着後すぐに、八名位の警察官らにより被告人車両の検索が行われ、午前零時四〇分ころ、同車両の助手席付近からガムテープに巻かれた箱様の物が発見され、更にそれが開披されて中から水滴の付着した注射器が発見された。この間、被告人は、腕組みしながらこれを見守り、右箱様の物が発見される直前には、同車両の助手席付近を見分しようとした警察官に対し、そこは既に見分済みであるからいいではないかなどと声をかけたりしていた。

3  被告人は、同日午前一時ころ、同警察署巡査部長佐藤譲らの求めに応じて、同警察署二階刑事課第一取調室に赴いた。そして、被告人は、同室において、同警察署巡査山下春夫が立会う中で同巡査部長の事情聴取を受けるなどし、当初腕の呈示には拒否的な態度を示していたものの、同日午前二時三〇分ころまでには、同巡査部長に対し、片腕の注射痕を見せ、尿の提出にも応じるが、今は尿意がない旨述べるようになった。そこで、同巡査部長らは、同日午前三時ころ、他の事件の捜査もあり、被告人に対して尿を早く出して帰宅するようになどと告げて退室した。被告人は、その後、常時刑事課の部屋に北川巡査及び小林巡査がいる状況で、同取調室に午前七時三〇分ころまで在室した。この間、被告人は、当初自ら要求してウーロン茶などかん入り飲料数本を飲み、数回、北川巡査らとともに、便所に赴いて採尿用のポリ容器を陰部にあてがい排尿を試みる動作をしたが、結局排尿するに至らなかった。また、被告人は、同日午前六時ころ、北川巡査らに予め断わったうえ、刑事課の部屋にあった電話により、自宅に電話した。

4  被告人は、次いで同日午前七時三〇分ころ、他の事件の捜査から帰って来た佐藤巡査部長に促されて、同警察署三階保安係第三取調室に移動し、同日の朝出勤してきた同警察署巡査部長三浦秀から前記注射器について覚せい剤反応の予試験をされて陽性の結果が出たのを確認させられるなどした後、同日午前九時五分ころ、三浦巡査部長及び同警察署巡査高橋徳とともに便所に赴き、採尿用ポリ容器に排尿して、尿を提出し、同日午前一〇時四〇分ころ、右腕の注射痕の写真撮影を受け、同日午後零時二五分通常逮捕された。なお、被告人は、この間、同日午前八時三〇分ころ、右第三取調室において、同日の朝出勤し、佐藤巡査部長から被告人の注射痕を確認したことなど捜査の引継報告を受けた同警察署巡査部長内野次夫に対し、昨夜から飲料水を飲んで頑張っているが尿が出ない旨答えるなどし、その後同巡査部長から腕の注射痕を見せるよう求められ、渋々右腕を見せたものの、更に、左腕を見せるよう求められたが、結局においてこれを拒否するなどした。しかし、被告人は、右のように尿を提出した後は、尿及び注射器にかかる各任意提出書に署名指印し、右写真撮影時には、写真撮影用機器のプラグをコンセントに差し込むなどして協力した。

三1  なお、被告人は、当公判廷において、①恵比寿駅前派出所及び渋谷警察署において、警察官らに対し、再三帰宅させてくれるよう申し入れたが、きいてもらえなかった、②同警察署の中庭で、何ら承諾していないのに、警察官らが勝手に被告人車両の検索を始めた、③右二七日朝、保安係第三取調室にいた際、内野巡査部長らに取調室の壁に左肩付近を押しつけられて、無理矢理腕の注射痕を見られたが、その際、取調室の壁に直径約三〇センチメートルの穴があいたなどと供述している。

2  そこで、検討するに、前掲各証拠によれば、被告人は、その内心においては、恵比寿駅前派出所での職務質問、渋谷警察署への同行、自動車内の検索、注射器の包みの開披・予試験、腕の注射痕の確認・写真撮影、なかんずく長時間にわたる取調室への在室及び尿の提出について、できるかぎりこれを回避したい気持でいたことは明らかである。しかしながら、他方、被告人は、これらを拒むことができることを十分知りながらも、恵比寿駅前派出所に同行を求められた時点以降、終始、警察官の意向に表立っては逆らわないよう努めていたことはその自認するところである。

ところで、右保安係第三取調室での被告人と内野巡査部長との一件をみるに、右各証拠並びに証人廣田榮の当公判廷における供述及び渋谷警察署歳出予算推定差引簿(ただし、昭和六一年会計年度分のうち、((款))警察費((項))警察管理費((目))庁舎管理費((節))一般需要費記載部分)によれば、①同取調室の壁は、同署保安係の他の取調室の壁と同様、本件はさておき、それ以前数年間壊れて穴があいたようなことはなく、従って、人の体の一部が押し当てられたくらいで容易に壊れるような材質、強度のものとは窺われず、また、被告人が左肩付近等に打撲傷等を負ったような形跡も窺われないこと、②昭和六一年一二月七日の時点において、同取調室の壁には被告人の供述するような穴はあいておらず、昭和六一年六月二七日以降それまでの間、前記差引簿には同取調室の壁を含め、およそ取調室の壁の修理に予算が支出されたという記載はなく、警察官が自費で修理するなど、右帳簿に記載されずに壁の修理が行われる可能性もまずあり得ないこと、③被告人の腕の注射痕は、佐藤巡査部長によって、確認済みで、同巡査部長からの報告によりそれを知っており、かつ、一方の腕の注射痕を自ら確認済みである内野巡査部長において、被告人の供述するような態様の強制を加えてまで、更にこれを確認する必要性は乏しかったことが認められ、これらの諸事実と対比勘案すると、同巡査部長らから壁に押しつけられて腕を見られ、その際壁に穴があいたという被告人の供述は不自然であって、にわかにそのすべてを信用できず、むしろ、同巡査部長が当公判廷で供述するように、被告人が腕の呈示を拒んで立ち上がり、その際被告人の体が同取調室の壁に当たったりしたにとどまるとみるのが自然である。

なお、証人Aは、当公判廷において、同年七月一〇日、同証人が、被告人と接見するため、渋谷警察署に赴いた際、同警察署警部補大塚孝義から事情聴取を受けたが、その際、近くにいたある警察官が「壁に穴あけちゃって、まいったよ。とりあえずカレンダー下げといたけど」などと言い、これに対し他の警察官が「すぐ修理するよ」などと答えたのを聞き、更に同月半ばころ被告人と接見した際にも、被告人から「壁に押し当てられて穴があき、この間行ったらカレンダーが掛かっていた」などと言われ、その身を案じた旨供述し、更に、当公判廷で証言するに至った経過について、同証人はかつて被告人と恋人の関係にあったが、昭和六一年秋ころから疎遠となっていたところ、昭和六二年二月初めころ、被告人から、「警察で暴行をされたことが証明できれば無罪になるかもしれないが、カレンダーについて記憶はないか」との問合せの手紙を受け取とり、同月半ばころ、一旦は弁護人にそのような記憶はないと連絡したが、同月一八日ころに至り、当公判廷で供述したような内容を思い出したので弁護人に連絡した旨供述している。

しかしながら、被告人作成のA子宛の手紙二通によれば、同証人は、被告人から、昭和六二年一月二九日付及び同年二月一一日付の二通の手紙を受け取っているところ、同年一月二九日付の手紙は、刑事に押さえつけられた時に壁に三〇センチの穴があいた旨具体的に記し、その穴の場所を図示したうえ、同証人は壁の穴かカレンダーを見た筈である旨示唆したものであったことが認められ、これが、同年二月一一日付の愛情を吐露した手紙と相まって、被告人の恋人であった同証人の証言に影響を及ぼしたことは推測に難くない。

のみならず、仮に同証人の証言が事実であるなら、同証人は、被告人の身を案じさせたという極めて特異な出来事について、右の各手紙を読んだ後もこれを思い出せず、弁護人にその旨連絡したが、同月一八日突然にその供述内容どおりの詳細な記憶を取り戻したことになり、その経過は不自然というほかなく、また、何よりも、その証言は前掲の歳出予算推定差引簿等から窺われる事実と両立しない。

これらの点に鑑みると、同証人の当公判廷における供述は、これをたやすく信用することができないものであって、前記認定に疑いを差しはさむものではない。

3  そうしてみると、被告人は、内野巡査部長に対し、前示のとおり、腕の呈示を拒んで立ちあがった一件を除いては、警察官の取調や要求などに対しあからさまな拒絶の態度を示したことはなく、かえって、取調室に入室当初は尿の提出を拒んだものの、間もなく、片方の腕を警察官に呈示し、ついで尿を提出する意向を表明し、翌朝現実に尿を提出するまでの間、数回警察官と便所に赴いてポリ容器に排尿する動作をし、少なくとも当初は自らかん入り飲料を要求したうえ数本を飲み干し、尿提出後腕の写真撮影時には自ら写真撮影用機器のプラグをコンセントに差し込み、本件尿及び注射器に係る各任意提出書に署名指印するなどしたことになり、これらの諸事実に照らすと、被告人が警察官の要求に対し、多少の不服を述べたことがあったとしても、その態度は警察官の意向と正面から対決するものではなく、これにおもねりながら翻意させようと試みた程度のものと推認でき、結局、全体としては不承不承警察官の挙動を承諾し、その求めに応じていたものとみるべきである。

四  そこで、以上認定の諸事実に照らし、被告人に対する職務質問、渋谷警察署への任意同行、被告人車両の検索、同警察署への留め置き、尿の提出・領置、腕の写真撮影等に至る一連の手続において、令状主義の精神を没却するような重大な、そして、そこで得られた証拠を許容することが将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないような違法が存したか否かを検討する。

まず、前示のとおり、恵比寿駅前派出所において、被告人には覚せい剤事犯の犯歴があることが既に判明していたとともに、被告人はバッグなどの所持品の検査には応じたものの腕の呈示は拒否し、同派出所内にバッグを置いたまま外に出ようとし、同警察署では被告人の到着後しばらくしてその運転車両から水滴の付着した注射器が発見されるなどしたのであるから、被告人に対する覚せい剤使用の嫌疑は順次極めて濃厚になったといえる。

そうとすれば、右のような嫌疑の状況に照らし、北川巡査が同派出所から外に出ようとした被告人の右肩に背後から手をかけてとどめるなどしたことは、警職法上の職務質問を続行するための相当な範囲内の説得活動と認められるし、右の同警察署への同行も、刑訴法一九八条一項に基づく任意捜査における任意同行として相当な範囲を逸脱していないと認められる(なお、前掲各証拠によれば、同派出所には採尿容器がなかったことが認められる。)。

また、前記のとおり、被告人について覚せい剤使用の嫌疑が濃厚になった一方で、同警察署取調室に留められて尿を提出するまでの間、被告人においてあからさまに帰宅を求める言動がなく、尿の提出に応じるような態度を示すなどしたため、警察官らには、格別、同警察署に留まることを強要するまでの言動等がなかったことが窺え、被告人が午前零時ころから尿提出まで約九時間同警察署に在署した点についても、被告人が尿の任意提出に応じるような態度を示していたことに大きな原因があったとみるべきであること及びその前後の被告人の前記挙動等に徴すると、同警察署に同行された時点から尿を提出し、写真撮影を受ける迄の間、被告人に実質的に逮捕に等しい強制が加えられていたものとまではいえない。そして、使用後一定期間内の採尿によりはじめてその立証が可能となる覚せい剤使用事案の性質に加え、当初はとにかく、まもなく被告人が尿を提出する旨申し立て、現実にその素振りをしているなど本件における具体的状況を総合すると、任意同行後の深夜から写真撮影を受けた翌昼前にかけて被告人を取調室に留め置いたことも、結局社会通念上やむをえなかったというべく、任意捜査として許容される限界を明らかに超えたとまではいい難いといわざるをえない。更にまた、前記のとおり、被告人が多量の水分を摂取したことも、被告人の承諾に基づくもので、採尿自体は被告人の意思に基づいて行われていたことなどの事情も認められるのである。

そうしてみると、本件採尿は任意捜査の限界を超えた実質的な逮捕状況の下に行なわれたものであって、その違法は令状主義の精神を没却するほど重要で、将来における違法捜査の抑制の必要からも、被告人の右尿に係る前記任意提出書、領置調書及び鑑定書の証拠能力が否定されるべきであるとする弁護人の主張は採用し難い。

また、右の状況下において、被告人車両の検索については、前記認定のとおりの右検索時の被告人の態度に照らし、被告人の黙示の承諾のもとに行われたものと認められ、被告人の右腕の写真撮影についても、前記認定のとおり、被告人が写真撮影用機器のプラグをコンセントに差し込んだりしたことなどに照らし、同様に被告人の承諾のもとに行なわれたものと認められるから、右注射器の押収及び写真撮影並びに被告人の右腕の写真撮影の各手続それ自体に違法とみるまでの点はない。従って、本件注射器に係る前記任意提出書、領置調書及び前記司法警察員三浦秀作成の写真撮影報告書並びに被告人の右腕を撮影した前記司法警察員内野次夫作成の写真撮影報告書は、いずれも被告人の承諾によらず、また、必要な令状なしに得られた証拠で、その違法の程度及び性質に鑑み、その証拠能力が否定されるべきであるとする弁護人の主張も採用できない。

(累犯前科)

被告人は、(1)昭和五五年一二月二三日横浜地方裁判所横須賀支部で覚せい剤取締法違反、麻薬取締法違反の罪により懲役一年六月(三年間執行猶予、昭和五七年三月一〇日右猶予取消)に処せられ、昭和五九年七月一〇日右刑の執行を受け終わり、(2)昭和五七年一月二七日東京地方裁判所で覚せい剤取締法違反の罪により懲役一年に処せられ、昭和五八年一月一〇日右刑の執行を受け終わり、(3)右(1)及び(2)の各刑の執行終了後に犯した覚せい剤取締法違反の罪により昭和六〇年一月一四日東京地方裁判所で懲役一年二月に処せられ、昭和六一年二月一一日右刑の執行を受け終わったものであって、右各事実は、検察事務官作成の前科調書及び右(3)の判決書謄本によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に該当するところ、前記の各前科があるので刑法五九条、五六条一項、五七条により三犯の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち二五〇日を右刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 島内乗統 裁判官 佐藤拓 松谷佳樹)

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